2016年12月26日月曜日

ジョージアの干し柿

ジョージアでは日本の干し柿と同じような干し柿が作られます。ジョージアのお正月のテーブルに干し柿は欠かせません。

ジョージアにはコーカサス柿(Diospyros lotus)という種類の柿、いわゆるマメ柿があります。この木は森の中に育ち、高さ25メートルにもなります。実は小さく、2センチぐらいにしかなりません。実は熟すと、黄色からやがて赤くなり、最後に黒っぽい赤、また濃い青になります。味は最初は渋いですがだんだん甘くなります。糖分は他の種類の柿より多いです。とてもおいしいですが、便秘を起こすので、あまりたくさん食べないほうがいいようです。

ジョージアではコーカサス柿を台木として使い、百目、次郎、蜂屋、富有、禅寺丸などの日本の柿を接ぎ木します。ジョージアではこれらをは「日本の柿」として知られていて、そのまま日本語の名前で呼ばれます。

東アジアの柿はジョージアに17世紀ごろにすでにあったそうですが、その後もイタリア、フランス、日本からいろいろな種類が持ち込まれました。現在栽培されている柿の大部分は日本の種類です。

11月の末頃、葉が落ちて、実だけが残っている柿の木
ジョージア東部カヘティ地方マガロ村。
皮をむいた柿の実を薪ストーブの近くに吊るして乾燥させています。

ジョージアの干し柿は茶色で、硬めです。
干し柿を作る乾燥室

2016年12月24日土曜日

クリスマスツリーとお正月の飾り

ジョージアではクリスマスは宗教的な祭日です。ジョージア正教会はユリウス暦(旧暦)を使っているので、ジョージアではクリスマスを新暦、いわゆるグレゴリオ暦の17日に祝います。ジョージアは1918年にユリウス暦からグレゴリオ暦に変えましたが、教会は今もユリウス暦を使っています。現在、旧暦は新暦に14日遅れています。そのため、新暦の11日はまだクリスマス前の断食の期間に当たります。断食を守っている人はお正月に肉料理、卵や牛乳製品が含まれているケーキなどを我慢しなければなりません。

ソ連時代には政府は宗教的な祭日は一切認めず、人々が祝わないように色々と工夫していました。その影響でクリスマスの料理や習慣はだんだんお正月のものになってしまいました。

ソ連が崩壊してから25年も経ちましたが、クリスマスツリーは今でもジョージア語で「正月のモミの木」(საახალწლო ნაძვის ხე)といい、正月のために飾ります。ジョージア人は12月の半ばから家にクリスマスツリーを出し始めます。1230日か大晦日に出す人もいます。重要なのは11日までに飾ることです。昔は本物の小さなモミの木を切り、家に飾っていましたが、モミの木をかってに切ることは40年以上前から法律で禁止されているので、人工のモミの木を飾ることが多いです。クリスマスツリーや正月の飾りは114日の旧暦の正月まで残します。

1225日はジョージアでは正月のための準備以外伝統的に特に何もしません。
 
売りに出された人工のモミの木が店の前で森のようになっています。
トビリシの中央市場。本物とそっくりのモミの木が売られています。
モミの木を切るのは違法なので、モミの木の小さい枝を棒につけ、モミの木の形にしてあります。
私の子供のころのクリスマスツリーの古い飾り。
昔の飾りは割れやすかったので今も残っているのはこれだけです。
トビリシ自由広場、クリスマスツリーの形をしたイルミネーション。

2016年12月10日土曜日

サンタクロースと雪のおじいさん

サンタクロースは私の子供のころはいませんでした。たぶんソ連のビザがもらえなかったからです(笑)。しかし、ジョージアには「雪のおじいさん」(თოვლის პაპა  または თოვლის ბაბუა)と呼ばれるサンタクロースみたいな存在が昔からいました。「雪のおじいさん」は背が高く、白いひげがあり、民族衣装を着ていて、白いフェルトのコート、ナバディ(ნაბადი)をはおり、革か織物の大きい袋(ხურჯინი)を持っています。性格は優しく、子供が好きで、袋から果物や伝統的なお菓子を出して子供にくれます。サンタクロースみたいにお土産をこっそり残したりはしません。ジョージアではサンタクロースをよく雪のおじいさんと呼びます。ちなみに、サンタクロースも雪のおじいさんもクリスマスよりむしろ正月と関連付けられます。

最近ジョージアでは欧米の影響でよくサンタクロースを見かけます。残念ながら雪のおじいさんを見ることはたまにしかありません。
南東ジョージア、テトリツカロ地区の幼稚園。正月の祭りに雪のおじいさんが来ています。

注文でやって来る雪のおじいさん

雪のおじいさんと民族衣装を着ている男の子




2016年12月2日金曜日

ジョージアの青年ラシャ・ツァバゼ(23歳)

ある日フェイスブックでジョージアの自然を写したきれいな写真を見かけました。撮影したのはラシャ・ツァバゼさんという23歳のジョージア人の青年でした。私はラシャさんを探し、実際に会いました。ラシャさんは他の写真も見せてくれました。私は彼の写真を日本の皆さんにも見せたくなりました。

ラシャさんはジョージアの中心地カルトリのカレリ地方の出身で、両親とお兄さんが一人います。ゴリ市の4年制の軍事アカデミーを卒業し、トビリシの近くの軍事基地で仕事をしています。学生のころ友達のカメラで写真を撮って、撮影に興味を持ちました。2年前にお父さんの援助でカメラを買い、インターネット上でカメラのことや撮影の仕方、フォトショップなどを勉強しています。旅行が好きですが、これまであまり旅行するチャンスがありませんでした。今年は12日のツアーに参加してジョージア国内の数か所を訪れました。その時に撮った写真を気に入ったツアーガイドが、撮影と引き換えにツアーに無料で招待してくれました。その後何回か自ら企画してツアーを実施しました。

「大自然の中で人々は簡単に親しくなります。普段行きにくいところに行き、そこで撮影したいです。これには軍事アカデミーで受けた訓練も役立っています。写真に写っている自然はきれいに見えますが、実際に見たほうが比較にならないほど素晴らしいです。旅行とカメラは今は趣味ですが、将来は仕事になるかもしれません」

ラシャ・ツァバゼ
これはラシャさんの一番好きな写真です。
生まれ育ったサツィフリ村で春の始まりを知らせるスミレを撮りました。
20160319

2016年11月27日日曜日

冬に備えた保存食作り

昔、温室や冷凍技術がなかったころ、ほかの国と同じようにジョージアでも保存食が生まれました。ジョージアの多くの家庭では今も冬に備えて季節の果物や野菜で保存食をつくります。

ジョージアでは保存食づくりは春に始まります。5月にスモモの一種であるトケマリ(ტყემალი)の実がなります。まだすっぱくて青いですが、その実で緑色のトケマリソースを作ります。また、5月はイチゴのシーズンでもあります。イチゴはジャムかコンポートにします。
緑色のトケマリソース
ジョージアでは普通のジャムよりプリザーブドタイプのジャムのほうが上品とされ、人気があります。プリザーブドタイプのジャムでは果物の形が崩れていません。形が崩れないように果物にフォークで穴をあけたり、ミョウバンを溶かした水に浸けたり、弱火で長い時間煮込んだり、色々と工夫します。このようなジャムはジョージア語ではムラバ(მურაბა)と呼ばれます。

5月の末ごろから果物が続々実ります。
桜の一種スミミザクラの実で甘酸っぱくて濃い赤色をしたムラバをつくります。
白いサクランボの実は、一個一個種を取り除き、代わりにクルミを入れてムラバにします。
クルミはまだ青いうちにムラバにします。クルミのムラバはムラバの王様とも呼ばれています。
スイカも、皮の内側の白い部分を小さく切ってムラバにします。シャキシャキした歯ごたえのムラバができます。
秋になると、

セイヨウサンシュユ(学名 cornus mas)で甘酸っぱくてちょっと渋い味のムラバをつくります。
マルメロの実からは香りの良い琥珀色をしたムラバができます。
ジョージアの主婦たちはなんでもムラバにしたがります。トマトやナスのムラバ、バラの花びらのムラバをつくる人もいます。比較的最近ジョージアに入ってきたキウイのムラバもつくられました。

果物はやわらかくて、よく実っていれば普通のジャムにしてもいいです。ジャムにする果物はイチゴ、アンズ、イチジク、セイヨウスモモ、ベリー類などです。ジャムもムラバもビンに入れ、ふたをし、涼しいところで保管します。

ジャムとムラバの他にコンポートもつくります。水に果物をいれ、砂糖を加えて煮ます。アンズ、もも、プラム、マルメロなどでつくります。コンポートは煮沸し、密閉して保存しなければならないので手間がかかります。
スミミザクラの実のコンポート
秋に熟したトケマリの実からは赤いトケマリソースをつくります。この時期にトマトとベリーの一種であるブラックベリー(学名Rubus fruticosus)でもソースをつくります。

冬にできない野菜のナスやインゲン豆でも保存がきく料理をつくっておきます。

漬物も重要な保存食です。ジョージアの漬物はしょっぱくてすっぱいです。砂糖を使わずつくるので甘みがありません。きゅうり、青トマト、キャベツ、ニンニクなどでつくる漬物が典型的です。ここではジョージアの独特の漬物の一つを取り上げたいと思います。これはジョージア語でジョンジョリ(ჯონჯოლი)と呼ばれる、ミツバウツギの一種(学名Staphylea pinnata)です。ジョンジョリは低木で、花のつぼみができるころに若い芽を摘んで塩で漬けます。
市場の漬物売り場でジョンジョリも売っています。
地方によってはチーズを発酵させたり、燻製にしたりするところもあります。

市場で売っている燻製したチーズ
保存食は店でも売っていますが、選択肢は多くありませんし、家で作ったもののほうがおいしいです。多くの家庭で、少なくとも何種類かのムラバとトケマリソースをつくります。保存食があれば果物や野菜の少ない冬を乗り切ることができます。

2016年11月20日日曜日

ラグビー 日本対ジョージア戦

ラグビーワールドカップに向け、1112日にジョージアの首都トビリシで日本代表チームとジョージア代表チームのテストマッチが行なわれました。ラグビーはジョージアで人気のあるスポーツの一つです。ジョージア代表チームは2003年に初めてワールドカップに参加して以来だんだん強くなっています。人々は12日に行なわれた試合に興味を示し、当日客席はいっぱいでした。前半はジョージアのリードで終わりましたが、後半で日本が逆転し、試合は2228日本の勝利に終わりました。

このような試合結果について、試合後、ジョージア代表チームのミルトン・ヘイギー監督(ニュージーランド出身)は「私たちは与えられたチャンスを逃した」、ジョージア代表チームのマムカ・ゴルゴゼ主将は「私たちは相手と比べて力では優れていた。このような場合は負けてはならなかった」と言いました。

ジョージアのラグビーの専門家らは「ジョージア代表は負けたが、両チームは積極的に戦い、観客にとって面白いショーになった」、「ジョージアのチームの失敗を日本のチームがうまく利用した」、「ジョージアの選手たち一人一人は立派だったが、チームとして組織力に欠けていた」、「ジョージア代表にとって日本代表との試合はいい経験だった。欠点を直すためこれから練習を重ねなければならない」といった意見を述べました。

ジョージアにはラグビー以外にも柔道、重量挙げなどに肉体的に強い選手がたくさんいます。ジョージア人の力士もそうです。しかし、ジョージア人、またジョージアの社会全体には組織的に行動する意識が一般に低いように思われます。このことが今回のラグビーの試合にも表れていたようです。




2016年11月7日月曜日

ジョージアの暖房


ジョージアでは一気に寒くなり、週間前にはトビリシの郊外に雪が積もりました。冬が間違って2つ前の駅で降りたと冗談を言う人もいました。そこで、ジョージアでの暖房について書きたいと思います。
10月26日にはトビリシ郊外のツクネティで雪が降りました。
ジョージアの田舎の大部分では薪ストーブを使っています。簡単な薪ストーブは鉄でできた黒い箱で、4本の足がついていて、煙突があります。その中で薪を燃やすと、灰が下の引き出しに落ちます。ストーブによっては横にオーブンがついているものもあります。上には水の入った大きな鍋が常に乗っています。ストーブで部屋を暖め、料理をつくり、お湯を沸かします。私の祖父が住んでいたバクリアニという村にもこのようなストーブがありました。そのストーブのオーブンで焼いたジャガイモの味とモミや松の薪が燃えるにおいは今も覚えています。
スヴァネティ地方、薪ストーブの上でハチャプリが焼かれています。

ジョージアでは石炭ストーブや石油ストーブも使われています。特に高い山の村では燃料に牛のフンを使うところもあります。そこではフンを乾燥させて、冬のために準備しておきます。

私はトビリシ市内にある築100年以上の建物のなかで生まれ育ちました。その家には壁暖炉があります。冬はこの暖炉で薪を燃やすと、壁全体が温かくなり、壁の下のほうに空いた穴から吸い込まれた冷たい空気が暖められて上の穴から出てきます。このように2つの部屋を長時間暖めることができます。このような家はジョージアの町にたくさんあります。
私が生まれ育った家
私が住んでいた家にある壁暖炉
この暖炉は1970年まで使われていましたが、その後、ガスを燃料とするソ連製のセントラルヒーティングシステムが設置されました。台所に設置されたボイラーから各部屋のラジエーターにお湯が送られ、家全体が暖まります。1つの建物のなかでもシステムは家庭ごとに独立していました。町の古い家では主にこのようなシステムが使われていました。ソ連のときにできた新しい住宅地にはセントラルヒーティングシステムが建物全体にとりつけられていました。

90年代のジョージアではガスの供給が止まりました。そのため町でも多くの家庭で薪ストーブや石油ストーブを使っていました。セントラルヒーティングシステムは使われなくなり、だんだん壊れてしまいました。技術的にも古くなり、人々はシステムを勝手に取り外しました。

今ジョージアの町では、排気ガスを外に出す、壁にとりつけるガスストーブか、新しいタイプのセントラルヒーティングシステムが人気があります。電気カーペット、床暖房などはジョージアではあまり使われていません。

壁にとりつけられたガスストーブ
新しいタイプのセントラルヒーティングシステムの外部機械

各部屋の窓の下、ドアの近くなど冷たい空気が入るところに設置されるラジエーター
首都トビリシでは10月の半ばに暖房を入れ、4月の半ばに止めます。このシステムでいつでも家全体が温かいです。

2016年10月19日水曜日

ジョージアの秋

 ジョージアでは9月に学校が始まります。まだ温かいですが、夏より過ごしやすくなります。10月にはさらに涼しくなり、冷たい風が黄色くなった木の葉を落とします。ジョージアでは紅葉を長く楽しむことはできません。冷たい霧雨もよく降ります。10月の半ばごろには部屋の暖房を入れ始めます。
 秋は冬のための保存食づくりが特に活発になります。各家庭で果物のシロップ煮、様々なジャム、トマトソースなどを作ります。冬までの残り少ない時間を有意義に利用しなければなりません。
 ジョージアでは秋はブドウを収穫する時期です。そして、ワインや伝統的なお菓子チュルチヘラを作ります。

 11月はコートを着てもいいぐらいの寒さで、首都トビリシには雪が降ることもあります。

秋の民族博物館の庭
マルネウリ市、秋祭り
ジャム作り
チュルチヘラ

2016年10月15日土曜日

女性画家ニノ・チャクヴェタゼ

 最近ジョージアでは女性画家ニノ・チャクヴェタゼが人気を集めています。
彼女は1971年にトビリシで生まれ、トビリシの中心部の古い家で、3世代が一緒に暮らす家庭で育ちました。子供のころから絵を描いています。1996年に美術大学を卒業しました。現在、ジョージア画家協会のメンバーで、頻繁に展示会を開き、絵本も数多く出版しています。彼女は子供のころの印象を絵にし、子供と老人をよく描きます。しかしその絵は子供向けであるだけではなく、大人にも子供のころの過去を思い出させ、未来の老人の姿を見せると言われます。心が温かく、少しさみしい雰囲気の彼女の絵は今ジョージアだけでなくロシア、ウクライナ、カザフスタンからも注目されています。

「ある秋の日」
「バルノヴィ通り、43番」
「ガグラ市で」


ニノ・チャクヴェタゼ
ギャラリー「ノチャ」の入り口。
ニノ・チャクヴェタゼは生まれ育った家の一部屋をギャラリーにし、
「ノチャ」と名づけました。
ギャラリー「ノチャ」はトビリシの中心部、ルスタヴェリ地下鉄駅の近くにあります。
ここで画家の世界に触れることができるので、
トビリシにいらっしゃればぜひ足を運んでみてください。

国会選挙の暫定結果

 今週、ジョージア選挙委員会が国会選挙の暫定結果を発表しました。比例代表の結果は以下のとおりです。

政党
得票率
ジョージアの夢
2012年~与党)
 48%
統一国民運動
2004年~2012年与党)
 27%
愛国者同盟
 5%

今回の比例代表選挙ではたくさんの政党が国会に入ると期待されていました。しかし条件の5%を越えられなかった党が多く、比例代表の議席は3つの政党が分け合うことになりました。その大部分は与党「ジョージアの夢」が獲得し、2番目は元与党「統一国民運動」が手に入れ、6議席を愛国者同盟がとりました。
選挙はまだ完全に終わっていません。小選挙区では一回で決まらなかったところが多いので、これから決戦投票を行わなければなりません。最終的に与党が113議席(4分の3)を勝ち取れば単独で憲法を変える権利が手に入ります。野党はこれは国にとって危険だと強調し、与党は各改正を野党と相談して決めるつもりだと言っています。最終結果は11月の半ばごろに出ますが、お楽しみに。

2016年10月7日金曜日

国会選挙(2016年)

108日、ジョージアでは国会選挙が行なわれます。ジョージアの国会は一院制で、定員は150人です。そのうち73人は小選挙区で、77人は比例代表制で選ばれます。国会選挙は4年に一度行われます。比例代表制では最低5%の票を獲得しなければなりません。
ジョージア中央選挙委員会、会長マタリ・ジヴァニア

今年はジョージアは独立してから25年目です。いまだに経済問題は深刻で、失業率が非常に高いです。全国のインフラは整っていません。裁判、健康保険、環境保護、教育などの制度も住民が満足するまでには発展していません。また、ジョージアの2か所で凍結された紛争が未解決のままで残っており、その状態を支えているロシアとの関係も良好ではありません。つまり,たくさんの仕事が新しい国会を待っています。

この仕事を誰に任せるかはジョージア国民がこの選挙で決めなければなりません。幸い、独立以降ジョージアは民主主義を発展させつつあり、最近の選挙の結果はずいぶん住民の意見を表わすようになっています。一つ前の議会選挙は2012年に行われ、選挙の結果,政権が変わりました。選挙で政権が変わったのはジョージアの独立後初めてのことでした。これは旧ソ連の国々では珍しい例です。今度の選挙でどの党が勝つかによって人々の生活や全国が大きく変わるかもしれません。

議会選挙に参加する一番人気の高い党をいくつかあげましょう。

政党

ジョージアの夢
2012年~与党)
2012年にビジネスマンで大金持ちのビジナ・イヴァニシヴィリ元首相が創立
統一国民運動
2004年~2012年与党)
2001年にミヘイル・サアカシヴィリ元大統領が創立
国民のための国家
2016年に元オペラ歌手で慈善基金代表のパアタ・ブルチュラゼ党首が創立
共和党
1978年結党。ダヴィド・ウスパシヴィリ国会議長が党首を務めていた。旧ソ連時代には地下で活動していた。
自由民主主義者
2009年にイラクリ・アラサニア党首(元国防大臣)が創立。

愛国者同盟
2012年結党。社会活動家ダヴィト・タルハン=モウラヴィ氏とマスメディア「オビエクティヴィ」社長のイルマ・イナシヴィリ氏が率いる。
ジョージア労働党
1995年にシャルワ・ナテラシヴィリ党首(1992年~1995年ジョージア新憲法制定委員会メンバー)が創立。

選挙日まであと1日です。正確な結果が出るまでには一か月くらいかかりますが、大まかな結果は選挙の次の日には出るでしょう。ではお楽しみに。
トビリシ市ルスタヴェリ通り国会の古い建物

クタイシの新しい国会議事堂
2011年に国会は首都トビリシから
西グルジアに位置する第
2の都市クタイシに移されました。