2016年4月29日金曜日

プライバシーは守られているのか

ジョージアでは人々のプライバシーが十分守られていないという問題について、最近、議会やテレビ、新聞、社会などで議論されています。2014年からこの問題について市民グループが社会運動を行っています。このグループは人々の会話、特に携帯電話での会話の盗聴を厳しく制限し、警察の操作に必要な限られた場合しか行わないよう求めています。運動のリーダーはそのために法律を改正する必要があると述べています。

しかし、2か月ほど前、ジョージアのある政治家の私生活を盗撮した映像がインターネット上にアップロードされました。この映像には、著名なジャーナリストの私生活を盗撮した映像も続いて公開されるという脅し文句がついていました。この事件は火に油を注ぎ、社会やマスメディアで大スキャンダルになりました。

メディアはその政治家の名前を公表しないよう約束し、このような映像を無視するよう人々に呼びかけました。この事件で脅迫の対象になったジャーナリストは、「恐れれば彼らに操られることになる。私は恐れない。私のどんな映像を流しても構わない」と言いました。この映像を撮影した人、保管した人、第三者に渡した人、インターネット上にアップロードした人全員が犯人だという意見に誰もが賛成しています。この事件の後、テレビ局長など数人も私生活を盗撮した映像を公開すると脅されていたことが明らかになりました。首相はこの事件をできるだけ早く捜査し、犯人を見つけなければならないと言いました。大統領は今回の事件を厳しく非難し、国民をこのような脅迫から守ると約束しまた。映像のアップロードが外国から行われたことが判明し、警察は外国とも協力して捜査を続けています。現在、議会選挙まで5か月しかないジョージアの社会にとって、このような事件が二度と起きないようにすることが重要な課題だと野党側は言います。

正直に言うと、私は社会のこのような反応に驚きました。私の子供の時はまだソ連でした。ソ連時代には人々はいつも何かで脅され、支配され、プライバシーは全く考えられませんでした。今はソ連の影響がなくなり、監視におびえていたジョージア人たちは次第に自由になりつつあるように思います。
 
脅迫を厳しく非難したジャーナリストたち


2016年4月24日日曜日

聖枝祭

今日はジョージアで聖枝祭が祝われています。この日に、ロバに乗ったイエスが弟子たちとともにエルサレムに入りました。その時イエスを迎えた人々はヤシの木の枝を手に持ち、自分の服や枝を下に敷いたと聖書に書かれています。聖枝祭は復活祭の前の日曜日に行われます。この日は断食をしている人も魚を食べることが出来ます。ジョージアでは、ヤシの木は少ないので、信者は代わりに教会にツゲの木の枝を持って行きます。枝に聖水をかけてもらい、次の年の聖枝祭まで一年間家に飾ります。正教の他の国ではオリーブ、猫柳の枝などを使うこともあります。
イエスがエルサレムに入ったときを表すイコン
小さい編みかごに入れたツゲの枝は聖枝祭の飾りになります
教会の前でツゲの枝が売られています

2016年4月10日日曜日

ジョージアのバレエ

1891年にイタリアのバレリーナ、マリア・ペリニがジョージアのオペラ劇場に招かれました。彼女はジョージアに住み着き、トビリシ・オペラ劇場のプリマバレリーナを10年間も務めました。後にダンスをやめ、1916年にジョージアで初めてのバレエスクールを開きました。彼女のスクールからたくさんのダンサーや劇場の芸術家が生まれました。
マリア・ペリニとバレエスクールの生徒たち
マリア・ペリニの生徒の中にヴァフタング・チャブキアニ(1910-1992年)もいました。彼はロシアでバレエの勉強を続けました。レニングラード(現ぺテルブルグ)のキーロフ(現マリンスキー)劇場の首席ダンサーになり、振付師としても活躍しました。チャブキアニの振り付けで男性のダンサーの役割が広がり、深い意味を与えられるようになりました。彼は世界の多くの国で公演し、日本でも踊ったことがあります。チャブキアニはロシアで12年間活躍したあと、1941年にジョージアに戻りました。ジョージアでもバレエダンサーと振付師として活動し、国立バレエ団を指導しました。1951年からは国立バレエスクール(ペリニのスクール)を指導しました。チャブキアニは指導方法やレパートリーを変え、ソ連の他のバレエスクールと交流を深め、バレエを学ぶ新たな質の高い環境をつくりました。後にこのバレエスクールにはチャブキアニの名前が冠されました。今日、ジョージアでチャブキアニは伝説のバレエダンサーと呼ばれています。
ヴァフタング・チャブキアニ
ヴァフタング・チャブキアニ
ジョージアのバレエスクールが生んだ次世代のバレエダンサーを何人か挙げましょう。これらのダンサーの多くは、ジョージアのバレエスクールでバレエを始めた後、ロシアのモスクワまたはサンクトペテルブルグで学び、トップバレエダンサーになりました。世界の多くの国の舞台で踊り、日本にも公演に来たことがあります。90年代にジョージア国内が混乱していたころには、トビリシで頻繁にチャリティ公演を行い、トビリシ・オペラ・バレエ劇場を支援しました。

ニノ(ニーナ)・アナニアシヴィリ(1963-現在)
モスクワのボリショイ劇場のプリマバレリーナ
米国ニューヨーク・シティ・バレエ団のプリマバレリーナ
バレエ界での4つの最高賞の持ち主
トビリシオペラ・バレエ劇場のバレエ団の指導者
チャブキアニ・バレエスクールの指導者
ニノ・アナニアシヴィリとアンドレス・リエパ
イルマ・ニオラゼ(1969-現在)
トビリシ・オペラ・バレエ劇場のバレエ団のソリスト
ペテルブルグのマリンスキー劇場のリードソリスト
国立エルミタージュ劇場のソリスト
イルマ・ニオラゼ
ニコロズ(ニコライ)・ツィスカリゼ(1973-現在
モスクワのボリショイ劇場の首席ダンサー
ワガノワ・ロシア・バレエアカデミーの学校長
ニコロズ・ツィスカリゼ
ラリ・カンデラキ(1972-現在)
トビリシ・オペラ・バレエ劇場のプリマバレリーナ
ハンガリーのブダペスト「アートバレエ」のリードソリスト
トルコのメルスィン市のオペラ・バレエ劇場のプリンシパル
ラリ・カンデラキとイーゴリ・ゼレンスキー
エレネ・グルリジゼ(1974-現在
ペテルブルグの国立バレエ劇場のリードソリスト
タチキン・バレエ劇場のリードソリスト
イギリスのロイヤルバレエ団のプリンシパル
2007年イギリスで最優秀のバレリーナに選ばれた
エレネ・グルリジゼ
ところで米国のバレエ界にとって重要な存在であったジョージ・バランシニ(本名ギオルギ・バランチヴァゼ)はジョージアの音楽家の家庭で生まれました。父親と弟はジョージア民族音楽の研究者、オペラ・バレエ作曲家でした。

2016年4月9日土曜日

4月9日

この日はジョージア人にとって悲劇の日でもあり、うれしい日でもあります。

悲劇は1989年、首都トビリシで起きました。政府の建物の前で行われたソ連政府に反対する平和デモを49日の明け方にソ連軍が強制的に解散しました。その結果、21人の死者(女性が多く、何人かの未成年もいました)が出て、数百人が負傷しました。多くの人がガス中毒になりました。

続いてアゼルバイジャンのバクー、リトアニアのヴィリニュスでも同様の事件が起き、当時のソ連政府を動揺させました。

19913月にジョージアでは独立の是非を問う国民投票が行われ、95%以上が独立を支持しました。当時ジョージア共和国最高委員会委員長であったズヴィアド・ガムサフルディア(後のジョージア大統領)は投票の結果をもとに、その2年前の悲劇の日である199149日にジョージアの独立の復活を宣言しました。

デモに数千人が参加しました

大学の学生はハンガーストライキをしました

デモを解散した後もソ連軍の戦車はトビリシの中心に残っています

4月9日の犠牲者の追悼式