1891年にイタリアのバレリーナ、マリア・ペリニがジョージアのオペラ劇場に招かれました。彼女はジョージアに住み着き、トビリシ・オペラ劇場のプリマバレリーナを10年間も務めました。後にダンスをやめ、1916年にジョージアで初めてのバレエスクールを開きました。彼女のスクールからたくさんのダンサーや劇場の芸術家が生まれました。
マリア・ペリニとバレエスクールの生徒たち |
マリア・ペリニの生徒の中にヴァフタング・チャブキアニ(1910年-1992年)もいました。彼はロシアでバレエの勉強を続けました。レニングラード(現ぺテルブルグ)のキーロフ(現マリンスキー)劇場の首席ダンサーになり、振付師としても活躍しました。チャブキアニの振り付けで男性のダンサーの役割が広がり、深い意味を与えられるようになりました。彼は世界の多くの国で公演し、日本でも踊ったことがあります。チャブキアニはロシアで12年間活躍したあと、1941年にジョージアに戻りました。ジョージアでもバレエダンサーと振付師として活動し、国立バレエ団を指導しました。1951年からは国立バレエスクール(ペリニのスクール)を指導しました。チャブキアニは指導方法やレパートリーを変え、ソ連の他のバレエスクールと交流を深め、バレエを学ぶ新たな質の高い環境をつくりました。後にこのバレエスクールにはチャブキアニの名前が冠されました。今日、ジョージアでチャブキアニは伝説のバレエダンサーと呼ばれています。
ヴァフタング・チャブキアニ |
ヴァフタング・チャブキアニ |
ジョージアのバレエスクールが生んだ次世代のバレエダンサーを何人か挙げましょう。これらのダンサーの多くは、ジョージアのバレエスクールでバレエを始めた後、ロシアのモスクワまたはサンクトペテルブルグで学び、トップバレエダンサーになりました。世界の多くの国の舞台で踊り、日本にも公演に来たことがあります。90年代にジョージア国内が混乱していたころには、トビリシで頻繁にチャリティ公演を行い、トビリシ・オペラ・バレエ劇場を支援しました。
ニノ(ニーナ)・アナニアシヴィリ(1963年-現在)
モスクワのボリショイ劇場のプリマバレリーナ
米国ニューヨーク・シティ・バレエ団のプリマバレリーナ
バレエ界での4つの最高賞の持ち主
トビリシオペラ・バレエ劇場のバレエ団の指導者
チャブキアニ・バレエスクールの指導者
ニノ・アナニアシヴィリとアンドレス・リエパ |
イルマ・ニオラゼ(1969年-現在)
トビリシ・オペラ・バレエ劇場のバレエ団のソリスト
ペテルブルグのマリンスキー劇場のリードソリスト
国立エルミタージュ劇場のソリスト
イルマ・ニオラゼ |
ニコロズ(ニコライ)・ツィスカリゼ(1973年-現在)
モスクワのボリショイ劇場の首席ダンサー
ワガノワ・ロシア・バレエアカデミーの学校長
ニコロズ・ツィスカリゼ |
ラリ・カンデラキ(1972年-現在)
トビリシ・オペラ・バレエ劇場のプリマバレリーナ
ハンガリーのブダペスト「アートバレエ」のリードソリスト
トルコのメルスィン市のオペラ・バレエ劇場のプリンシパル
ラリ・カンデラキとイーゴリ・ゼレンスキー |
エレネ・グルリジゼ(1974年-現在)
ペテルブルグの国立バレエ劇場のリードソリスト
タチキン・バレエ劇場のリードソリスト
イギリスのロイヤルバレエ団のプリンシパル
2007年イギリスで最優秀のバレリーナに選ばれた
エレネ・グルリジゼ |
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