2016年11月7日月曜日

ジョージアの暖房


ジョージアでは一気に寒くなり、2週間前にはトビリシの郊外に雪が積もりました。冬が間違って2つ前の駅で降りたと冗談を言う人もいました。そこで、ジョージアでの暖房について書きたいと思います。
10月26日にはトビリシ郊外のツクネティで雪が降りました。
ジョージアの田舎の大部分では薪ストーブを使っています。簡単な薪ストーブは鉄でできた黒い箱で、4本の足がついていて、煙突があります。その中で薪を燃やすと、灰が下の引き出しに落ちます。ストーブによっては横にオーブンがついているものもあります。上には水の入った大きな鍋が常に乗っています。ストーブで部屋を暖め、料理をつくり、お湯を沸かします。私の祖父が住んでいたバクリアニという村にもこのようなストーブがありました。そのストーブのオーブンで焼いたジャガイモの味とモミや松の薪が燃えるにおいは今も覚えています。
スヴァネティ地方、薪ストーブの上でハチャプリが焼かれています。

ジョージアでは石炭ストーブや石油ストーブも使われています。特に高い山の村では燃料に牛のフンを使うところもあります。そこではフンを乾燥させて、冬のために準備しておきます。

私はトビリシ市内にある築100年以上の建物のなかで生まれ育ちました。その家には壁暖炉があります。冬はこの暖炉で薪を燃やすと、壁全体が温かくなり、壁の下のほうに空いた穴から吸い込まれた冷たい空気が暖められて上の穴から出てきます。このように2つの部屋を長時間暖めることができます。このような家はジョージアの町にたくさんあります。
私が生まれ育った家
私が住んでいた家にある壁暖炉
この暖炉は1970年まで使われていましたが、その後、ガスを燃料とするソ連製のセントラルヒーティングシステムが設置されました。台所に設置されたボイラーから各部屋のラジエーターにお湯が送られ、家全体が暖まります。1つの建物のなかでもシステムは家庭ごとに独立していました。町の古い家では主にこのようなシステムが使われていました。ソ連のときにできた新しい住宅地にはセントラルヒーティングシステムが建物全体にとりつけられていました。

90年代のジョージアではガスの供給が止まりました。そのため町でも多くの家庭で薪ストーブや石油ストーブを使っていました。セントラルヒーティングシステムは使われなくなり、だんだん壊れてしまいました。技術的にも古くなり、人々はシステムを勝手に取り外しました。

今ジョージアの町では、排気ガスを外に出す、壁にとりつけるガスストーブか、新しいタイプのセントラルヒーティングシステムが人気があります。電気カーペット、床暖房などはジョージアではあまり使われていません。

壁にとりつけられたガスストーブ
新しいタイプのセントラルヒーティングシステムの外部機械

各部屋の窓の下、ドアの近くなど冷たい空気が入るところに設置されるラジエーター
首都トビリシでは10月の半ばに暖房を入れ、4月の半ばに止めます。このシステムでいつでも家全体が温かいです。

2016年10月19日水曜日

ジョージアの秋

 ジョージアでは9月に学校が始まります。まだ温かいですが、夏より過ごしやすくなります。10月にはさらに涼しくなり、冷たい風が黄色くなった木の葉を落とします。ジョージアでは紅葉を長く楽しむことはできません。冷たい霧雨もよく降ります。10月の半ばごろには部屋の暖房を入れ始めます。
 秋は冬のための保存食づくりが特に活発になります。各家庭で果物のシロップ煮、様々なジャム、トマトソースなどを作ります。冬までの残り少ない時間を有意義に利用しなければなりません。
 ジョージアでは秋はブドウを収穫する時期です。そして、ワインや伝統的なお菓子チュルチヘラを作ります。

 11月はコートを着てもいいぐらいの寒さで、首都トビリシには雪が降ることもあります。

秋の民族博物館の庭
マルネウリ市、秋祭り
ジャム作り
チュルチヘラ

2016年10月15日土曜日

女性画家ニノ・チャクヴェタゼ

 最近ジョージアでは女性画家ニノ・チャクヴェタゼが人気を集めています。
彼女は1971年にトビリシで生まれ、トビリシの中心部の古い家で、3世代が一緒に暮らす家庭で育ちました。子供のころから絵を描いています。1996年に美術大学を卒業しました。現在、ジョージア画家協会のメンバーで、頻繁に展示会を開き、絵本も数多く出版しています。彼女は子供のころの印象を絵にし、子供と老人をよく描きます。しかしその絵は子供向けであるだけではなく、大人にも子供のころの過去を思い出させ、未来の老人の姿を見せると言われます。心が温かく、少しさみしい雰囲気の彼女の絵は今ジョージアだけでなくロシア、ウクライナ、カザフスタンからも注目されています。

「ある秋の日」
「バルノヴィ通り、43番」
「ガグラ市で」


ニノ・チャクヴェタゼ
ギャラリー「ノチャ」の入り口。
ニノ・チャクヴェタゼは生まれ育った家の一部屋をギャラリーにし、
「ノチャ」と名づけました。
ギャラリー「ノチャ」はトビリシの中心部、ルスタヴェリ地下鉄駅の近くにあります。
ここで画家の世界に触れることができるので、
トビリシにいらっしゃればぜひ足を運んでみてください。

国会選挙の暫定結果

 今週、ジョージア選挙委員会が国会選挙の暫定結果を発表しました。比例代表の結果は以下のとおりです。

政党
得票率
ジョージアの夢
(2012年~与党)
 48%
統一国民運動
(2004年~2012年与党)
 27%
愛国者同盟
 5%

今回の比例代表選挙ではたくさんの政党が国会に入ると期待されていました。しかし条件の5%を越えられなかった党が多く、比例代表の議席は3つの政党が分け合うことになりました。その大部分は与党「ジョージアの夢」が獲得し、2番目は元与党「統一国民運動」が手に入れ、6議席を愛国者同盟がとりました。
選挙はまだ完全に終わっていません。小選挙区では一回で決まらなかったところが多いので、これから決戦投票を行わなければなりません。最終的に与党が113議席(4分の3)を勝ち取れば単独で憲法を変える権利が手に入ります。野党はこれは国にとって危険だと強調し、与党は各改正を野党と相談して決めるつもりだと言っています。最終結果は11月の半ばごろに出ますが、お楽しみに。

2016年10月7日金曜日

国会選挙(2016年)

10月8日、ジョージアでは国会選挙が行なわれます。ジョージアの国会は一院制で、定員は150人です。そのうち73人は小選挙区で、77人は比例代表制で選ばれます。国会選挙は4年に一度行われます。比例代表制では最低5%の票を獲得しなければなりません。
ジョージア中央選挙委員会、会長マタリ・ジヴァニア

今年はジョージアは独立してから25年目です。いまだに経済問題は深刻で、失業率が非常に高いです。全国のインフラは整っていません。裁判、健康保険、環境保護、教育などの制度も住民が満足するまでには発展していません。また、ジョージアの2か所で凍結された紛争が未解決のままで残っており、その状態を支えているロシアとの関係も良好ではありません。つまり,たくさんの仕事が新しい国会を待っています。

この仕事を誰に任せるかはジョージア国民がこの選挙で決めなければなりません。幸い、独立以降ジョージアは民主主義を発展させつつあり、最近の選挙の結果はずいぶん住民の意見を表わすようになっています。一つ前の議会選挙は2012年に行われ、選挙の結果,政権が変わりました。選挙で政権が変わったのはジョージアの独立後初めてのことでした。これは旧ソ連の国々では珍しい例です。今度の選挙でどの党が勝つかによって人々の生活や全国が大きく変わるかもしれません。

議会選挙に参加する一番人気の高い党をいくつかあげましょう。

政党

ジョージアの夢
(2012年~与党)
2012年にビジネスマンで大金持ちのビジナ・イヴァニシヴィリ元首相が創立
統一国民運動
(2004年~2012年与党)
2001年にミヘイル・サアカシヴィリ元大統領が創立
国民のための国家
2016年に元オペラ歌手で慈善基金代表のパアタ・ブルチュラゼ党首が創立
共和党
1978年結党。ダヴィド・ウスパシヴィリ国会議長が党首を務めていた。旧ソ連時代には地下で活動していた。
自由民主主義者
2009年にイラクリ・アラサニア党首(元国防大臣)が創立。

愛国者同盟
2012年結党。社会活動家ダヴィト・タルハン=モウラヴィ氏とマスメディア「オビエクティヴィ」社長のイルマ・イナシヴィリ氏が率いる。
ジョージア労働党
1995年にシャルワ・ナテラシヴィリ党首(1992年~1995年ジョージア新憲法制定委員会メンバー)が創立。

選挙日まであと1日です。正確な結果が出るまでには一か月くらいかかりますが、大まかな結果は選挙の次の日には出るでしょう。ではお楽しみに。
トビリシ市ルスタヴェリ通り国会の古い建物

クタイシの新しい国会議事堂
2011年に国会は首都トビリシから
西グルジアに位置する第
2の都市クタイシに移されました。


2016年9月22日木曜日

海のリゾートコブレティ

アチャラ地方に位置するコブレティは、黒海の海岸に沿って建てられた町で、ジョージアの重要な海のリゾートです。コブレティのシーズンは7月に始まり、9月の半ばに終わります。最もにぎわう時期は8月だそうです。


私はちょうどシーズンが始まったばかりの7月中旬にコブレティを訪れました。泊まったホテルから道をはさんだ公園の向こうはもう海でした。その公園は10年ほど前にも見たことがありましたが、今はずっときれいになっていました。大きな噴水があり、アジサイが咲いていました。
コブレティの公園

公園の噴水

アジサイ

コブレティの海岸は小石だらけですが、砂浜もあります。海の水は塩分が多いです。石の上を走って塩水を浴びるのが子供の体にいいと聞いて、今回は10日間コブレティに滞在しました。
背中に石を乗せて遊んでいる女の子

砂で遊ぶ子供たち

ジョージアは日差しが強いので、昼間は海岸に行かないほうがいいと言われます。医者によれば、海を楽しむのにふさわしい時間帯は、朝は11時まで、夕方は6時以降です。しかし、ジョージア人はとても日焼けが好きなので、昼間も海岸は人でにぎわっています。肌は黒ければ黒いほど良いと言って、皮膚がむけるまで日差しを浴びては、日焼け具合を比べあったり、自慢したりします。私自身は日焼けはあまり好きではありません。
海岸

昼間、中庭のパラソルの下で友達と遊んでいる息子


泊まっていたホテルの周りにはレストランがたくさんありました。夜遅くまで音楽が大きな音で聞こえていました。音楽がなくなると、今度は、隣の家の庭の鶏がコケコッコーと鳴き出します。
隣の庭の鶏

シーズンの海の町では、しばしば踊りや歌のコンサートが行なわれます。子供の舞踊団のコンテストもあります。
中庭で稽古をしているグループ

コンサート前のアチャラ地方の民族衣装を着た子供の舞踊団。
頭に巻くカバラヒ(
ყაბალახი)が特徴です。

アチャラ地方の食べ物も味わいました。ここではアチャラ地方のハチャプリ(チーズパイ)について書きたいと思います。このハチャプリはボートの形をしていて、半熟の卵が上に載っています。アチャラ地方のハチャプリは他の地方でも食べられますが、やはり現地で食べたハチャプリは格別でした。
 
アチャラ地方のハチャプリ

私はこのアチャラ地方のハチャプリのレシピを探してつくってみたいと思います。おいしいものができたらレシピを日本語でもご紹介します。頭にカバラヒを巻いてつくると成功するような気がします(笑)。

2016年8月31日水曜日

ジョージアの夏

ジョージアの夏は暑いです。首都トビリシでは気温が40度にまで上がる日もあります。7月の下旬から8月の初旬にかけては一年で最も暑い時期です。ただし、日差しが強くても、日陰に入れば楽になります。東ジョージアはからっとしているのに対し、海に面した西部は比較的湿度が高いです。

ジョージアでは夏は休みの季節です。ジョージアでは年に2回、普段とは違う気候のところで何週間か過ごすことが健康のために必要だと考えられています。ジョージア語ではこれを「空気替え」(ჰაერის გამოცვლა)と呼びます。海で2週間、山で4週間休むのが理想だと言われます。近年は人々はお金や時間を気にして昔のように長く休めませんが、夏になればやはり少しでも日常から抜けだしたいと思うものです。田舎に親戚や友達がいて家があれば、夏休みを田舎で過ごす人も多いです。日帰りで近くの山や川、湖などに行くこともあります。最近、観光会社は日帰りや2、3日間の短いツアーの選択肢を増やしています。若い人は短いツアーや、レストランやバーが多いにぎやかな海の町のほうを好みます。子供はよく針葉樹林がある山のほうに連れていきます。このように今年の夏もジョージアの各地が人々でにぎわっていました。

ジョージアは北海道よりも少し小さいくらいですが、カフカス山脈の山々と黒海があり、ミネラルを豊富に含む泉や温泉があちこちにあり、森林や手つかずの自然がまだ残り、リゾート地がたくさんあります。ソ連時代にはジョージアは保養地で、外国に行くことができないソ連の人々にとってはジョージアに行くことが休暇の最高の過ごしかたでした。ジョージアは90年代の混乱を乗り越え、インフラを整えつつあります。2004年から政府はジョージアのリゾート機能を復活させる政策を積極的に進めています。ジョージアの古い歴史や数多くの遺跡がその魅力を高めます。最近は外国からの観光客も増え、旧ソ連諸国の人々をはじめ、東ヨーロッパ、アラブの国々、イスラエルなどから多くの観光客がジョージアを訪れています。
ボルジョミ市、公園の前にある泉、人々は並んで順番で水を取っています。

黒海、コブレティ市、海を楽しんでいる人々

ボルジョミ地区、ティモテスウバニ村の古い協会の庭に子供ずれが多いです。