1929年、ソ連ではクリスマスと正月を祝うことが禁じられ、クリスマスツリーは資本主義的であるとして飾らないよう命じられました。1947年まで1月1日も平日でした。しかし、こっそりクリスマスツリーを飾ってクリスマスやお正月を祝う人もいたので、政府は窓から家々のなかをのぞき、市民が政府の命令を守っているかどうかをチェックしていたそうです。ところが、1937年に政府は年末年始に子どもたちのためにモミの木を飾るよう命令し、クリスマスツリーは「新年のモミの木」と名付けられて、クリスマスではなくお正月のために飾られるようになりました。その年、モスクワのソビエト宮殿に立派なモミの木が立てられ、そのてっぺんにはベツレヘムの星ではなくソ連のシンボルであった赤い星が付けられました。サンタクロースの代わりに登場した「雪のおじいさん」が白い服を着た女の子「白雪姫」を連れてきて、ソ連の指導者の肖像画が壁にかかったソビエト宮殿の会場で歌ったり、踊ったりして豪華に新年を祝いました。
その後も毎年政府は学校の成績の優れた子供や、政府関係者の子供をモスクワのクリムリンに招いて、豪華な「新年のモミの木」のイベントを行ないました。その様子は全ソ連のテレビで放送されました。
また、広いソ連の各都市、村、学校、文化会館など、元々キリスト教徒が多いジョージアでも、ムスリムが多いアゼルバイジャンや中央アジアでも、子供向けに必ず「新年のモミの木」というイベントを行なうようにさせました。
「新年のモミの木」では、きれいに飾られたクリスマスツリーの周りに子供たちを集め、そこに雪のおじいさんと白雪姫がやってきます。それぞれの地域の民族衣装を着た雪のおじいさんが子どもたちに面白い話をし、子どもたちを歌わせたり、踊らせたり、詩を読ませたりし、最後にお菓子や果物が詰まった小さな袋をあげました。
私が子供のころ、ソ連のジョージアでは、新年を迎える時期に幼稚園や学校で子供たちに詩や歌を覚えさせ、「新年のモミの木」を行ないました。新年になると幼稚園と学校は休みで、10歳くらいまでの子供がいる親はチケットを買って、子供をさまざまな場所で開かれる「新年のモミの木」に連れていったものです。そこでは学校で習った詩を読んだり、歌を歌ったりしました。私も毎年参加しました。13歳のときも近所の年下の子供と一緒に参加し、偶然弟を連れてきた同い年の友達と会ったりして楽しかったことを覚えています。
ジョージアは独立してから26年も経ちましたが、今もクリスマスツリーを「新年のモミの木」と呼んで新年のために飾り、同名のイベントを小学校や幼稚園、子供たちのセンターなどで必ず行なっています。昔と違って衣装や飾りがカラフルになり、語られるお話は新しいものになり、人気のアニメの主人公が出てきたりするようになりました。
子供たちのための数多くのクラブやサークルがあるトビリシの「若者と生徒たちの宮殿」で、お正月に豪華な「新年のモミの木」が行なわれています。雪のおじいさんが白雪姫(ფიფქია)を連れてきました。 |
東ジョージア、カヘティ地方のグルジャアニ市の幼稚園で行なわれた「新年のモミの木」 このイベントでは子供も様々な衣装を着たりします。 |