2017年12月29日金曜日

お正月のお菓子「コジナキ」

ゴジナキはジョージアではお正月のときだけつくります。
自家製のゴジナキ
材料:クルミ250グラム、蜂蜜200グラム、砂糖25グラム

クルミを細長く切ります。割れないように気を付けます。



それから切ったクルミを軽く煎ります。風を当ててクルミの皮を飛ばします。扇風機を使う場合もあります。



蜂蜜を鍋に入れ、砂糖を加えます。弱火にかけ、かき混ぜながら温め、沸騰させます。沸騰して泡が立ったら、火からおろ、落ち着かせます。また、火にかけます。火にかけたり、おろしたりし、繰り返します。少量お皿に垂らしてみて、蜂蜜のしずくが垂らされたところに留まり、広がらなければ 刻んだクルミを鍋に入れ、火を止めます。クルミが割れないように優しく混ぜます。





なべの中身をベーキングペーパーの上に乗せ、水に濡らしたスプーンで熱いうちに平らに広げます。クルミ一個一個が重ならないよう広げたら、包丁でひし形(46cmくらい)に切ります。




10分ほど置いておくと冷めて、固まります。固まったゴジナキをお皿に盛りつけます。

2017年12月15日金曜日

チュルチヘラ

チュルチヘラ(ჩურჩხელა)はジョージアの伝統的なお菓子で、お正月の食卓に欠かせません。

チュルチヘラの主な材料はブドウの果汁です。ブドウの果汁を沸かし、水分を半分に減らします。すると果汁の甘さが増します。更に、穀物の粉でとろみをつけます。東ジョージアでは小麦粉、西ジョージアではトウモロコシの粉を使います。チュルチヘラの中身は基本的に木の実です。東ジョージアではクルミ、西ジョージアではヘーゼルナッツです。アーモンドやカボチャの種、ブナの実、乾燥させた果物などを芯にしたチュルチヘラもあります。木の実に細い糸を通します。それを、とろみがついたブドウの熱い果汁に浸け、木の実に果汁をたっぷり付けます。果汁から出して、棒にぶら下げ、乾燥させます。ある程度乾燥してからもう一度果汁にくぐらせることもあります。1015日間、日光に当ててよく乾燥させれば出来上がりです。
 
クルミに縫い針で糸を通します。
とろみがついた果汁に浸け、外で乾燥させます。
チュルチヘラは保存食です。秋にブドウを収穫し、ワインをづくり始めるころ、ブドウの果汁を搾り、チュルチヘラもたくさんづくります。最近は水分を飛ばしたブドウの果汁を瓶詰めにし、いつでもチュルチヘラをつくれるように置いておくこともあります。出来上がったチュルチヘラを乾燥した涼しいところに置いておけば、次のブドウの収穫の時期まで、一年間も持ちます。チュルチヘラは最初はやわらかくて、もちもちしています。しかし、長く置けば置くほど乾燥し、硬くなってしまいます。硬くなったチュルチヘラは温めるとまた柔らかくなります。

いつまでも硬くならないように少量の蜂蜜を加える場合もあります。砂糖は使いません。あくまでも天然の素材の甘さと香りが大切です。ブドウの種類によって、チュルチヘラの色もさまざまです。明るい茶色や濃い茶色、濃い赤、赤っぽい茶色のチュルチヘラもあります。しかし、市場や町の観光客が多いところで売られているチュルチヘラには、鮮やかな赤や黄色、緑色のものもあります、変な味のものも売っています。このようなチュルチヘラはどんな材料でつくられたか分かりません。買う場合には十分に気を付けてください。
 
変なチュルチヘラ
 チュルチヘラは食べる前に糸を引っ張って取り出します。それから一本を持ってかじって食べてもいいし、スライスして、少しずつ飲みものと一緒に食べてもいいです。一本のチュルチヘラを食べるとおなかがいっぱいになります。その昔、ジョージア人は遠いところに行く際に、途中で食べるためチュルチヘラを持って行きました。

スライスしたチュルチヘラ
私にはチュルチヘラにまつわる子供のころの思い出があります。母がチュルチヘラをつくりました。乾燥させるためバルコニーに棒を置き、そこにぶら下げました。これを見かけた私と兄はチュルチヘラが乾くまで待ち切れませんでした。遊びながらチュルチヘラに立ち寄って、手を触らず、口を開け、下から少しづつ齧りました。結局全部食べてしまいました。おいしかったです!

チュルチヘラは特に子供たちが大好きです。ジョージアの幼稚園や小学校では秋祭りのときに必ずチュルチヘラづくりを体験させます。チュルチヘラはジョージア人にとってお菓子であるだけではなく、子供のころの思い出でもあり、また、ジョージアの伝統と心でもあるのです。

幼稚園で友人の子供がチュルチヘラづくりを体験

2017年4月20日木曜日

ジョージア人のお墓と墓参り

今年ジョージアでは復活祭を416日に祝いました。復活祭の次の日は墓参りをする習慣があります。今年も墓地にはたくさんの人が来ていました。

ジョージア人は普通はお墓に家族全員で参ります。復活祭の赤いゆで卵と「パスカ」と呼ばれる甘いパン、ろうそく、ワインをもって行きます。赤い卵とパスカはお墓に供え、ろうそくは火を灯して立てます。そこで亡くなった人を偲びます。ワインをコップに注ぎ、一口飲んでから残りをお墓にかけます。聖書には亡くなった人は誰でもいつか復活すると書かれています。それで、墓参りをするジョージア人は亡くなった家族や友達もいつか復活するだろうと無意識に信じながら、復活祭の喜びを亡くなった人たちと分かち合います。

ゆで卵とパスカ以外にいろいろな食べものを墓地に持って行く人もいます。それらの食べものをお墓のそばにつくられたテーブルに並べ、食べたりワインを飲んだりします。時には大人は酔っぱらって歌を歌い、子供は遊びだし、墓地はにぎやかになります。墓地で騒ぐのは恥ずかしいと考える人もいますが、亡くなった人と一緒に楽しく時間を過ごしてもいいではないかと思う人もいます。

トビリシ貯水池の近くの墓地
家族で食事をする人たち
おじいさんたちが集まって墓地で一緒に食事をしています。
友人のお墓参りでしょう。
椅子が足りなければ立ったまま、あるいはお墓の縁に座って食べる人もいます。
ところで、ジョージアでは遺体を燃やさず、そのまま棺に入れて土に深く埋めます。そのためお墓も人が横になる大きさです。お墓の上には亡くなった人の名前と生まれた年、亡くなった年を書いた石を置きます。そこに顔を描いたお墓もあれば、石像が立っているお墓、屋根がついたお墓もあります。お墓のそばに座れるように椅子やテーブルをつくることもあります。ジョージア人はお墓をきれいにし、花や植物や小さい木を植えます。

トビリシのクキア墓地
チュリップの花が咲いているお墓
私の祖父のお墓には顔が描かれています。
屋根つきのお墓
石像が立っているお墓
ジョージアでは夫婦のお墓は仕切らずそばにつくります。亡くなってから30年経てば、そのお墓の上に次の世代の亡くなった家族を入れることもできます。更に時間が経てば、墓地はだんだんいっぱいになり、新しい墓がつくれなくなります。その時には墓地を閉めます。墓地を閉めた後100年以上経ち、墓参りする人もいなくなれば、墓地を壊してもいいとされています。壊した墓地の跡に公園をつくります。たとえば首都トビリシの中心にあるヴェラ公園はこのようにできました。
 
トビリシのクキア墓地、夫婦のお墓
ヴェラ公園

2017年4月5日水曜日

ジョージア統計局のいくつかのデータ

2014年に統計局が行った調査によれば、ジョージアの人口は3 720 400人です。2002年に行われた調査では4 371 500人でした(このデータにはジョージア政府がコントロールできない地域、アブハジアと南オセチアの人口は含まれていません)。ジョージアの政治的、経済的状況は90年代と比べて安定しましたが、人口は減る一方です。原因として、出生率が低いことや、失業率が高く、外国に出稼ぎに行く人が多いことが挙げられます。2008年に起きたロシアとの戦争も悪影響を与えました。
人口の減り方
ジョージアの人口の多くは民族的にジョージア人です。その次に多いのはアゼルバイジャン人とアルメニア人です。そのほかの民族としてロシア人、ウクライナ人、クルド人、ギリシア人、ユダヤ人などがいます。ソ連時代はジョージア人以外の民族が人口の30%ほどもいましたが、ソ連が崩壊した後、ジョージアで起きた混乱で彼らの多くは故郷に帰りました。
民族の割合 (2014年)
ジョージアではキリスト教徒が一番多いです。その次はイスラーム教の信者です。キリスト教徒の中では正教徒が圧倒的に多いです。イスラーム教の信者にはアゼルバイジャン人のほかに、西ジョージアのアチャラ地方のジョージア人もいます。
 
宗教の信者の割合(2014年)
ジョージアでは人口の都市への集中は進んで、田舎に住む人より都市に住む人のほうが多いです。
 
都市と田舎に住む人の割合 (2014)

人口の世代別の内訳は以下の通りです。
年齢の割合 (2014年)
ジョージア人の平均寿命は男性は68.6歳、 女性は77.2歳です(2014年)。

ある統計学者によれば、ジョージアでは結婚平均年齢は男性は29歳、女性は27歳だそうです。以前よりだんだん遅くなっています。それとともに離婚の数は増えています。
離婚の数
ジョージアでは出生率が低く、1950年ごろ以降は子供の数は2人が普通です。しかし最近3人あるいはそれ以上の子供がいる家庭が増えています。この理由は90年代の混乱が収まって、割と安定した生活ができるようになったことです。ジョージアの総主教も人口が増えるよう働きかけ、自ら3番目に生まれた子供の洗礼を行なうと発表しました。また、聖職者にとっては避妊は罪で、ジョージアの人口を増やさなければならないという考えがあり、たくさんの子供がいる家庭があります。ジョージア人が将来も生き残ると期待したいです。
生まれた子供の数

2017年3月10日金曜日

夢をあきらめない強い女性

3月8日、ジョージアでは国際女性デーを祝います。この日にちなみ、あるジョージア人女性タマル・クヴェラシヴィリさんをご紹介したいと思います。現在38歳のタマルさんは、昨年「ニチエリ」(ნიჭიერი)というジョージアの公開オーディション番組に参加し、有名になりました。

この番組はイギリスの「ゴット・タレント」という番組と同じもので、年齢・肩書を問わず誰でも参加できます。タマルさんはこの番組でオペラのアリアを歌い、優れたパフォーマンスで審査員と観客の注目を集めました。

以前、タマルさんは首都トビリシでグラフィックデザイナーの仕事をしながら、一人で娘を育てていました。その後、結婚し、男の子が生まれました。夫は息子が誕生する前に出稼ぎに外国に行ったきり戻ってきませんでした。生まれた赤ちゃんは元気そうでしたが、生後20日目ごろから繰り返してんかんを起こし、ウエスト症候群と診断されました。治療を受けさせましたが、赤ちゃんは体を動かせないばかりか、耳も聞こえず、目も見えませんでした。医者はこれ以上良くならないと言いました。しかし、タマルさんは息子の体の状態を少しでも良くするため田舎に引っ越すことを決心しました。田舎の静かな環境やきれいな空気、新鮮な食べ物を求めて、東ジョージアのカヘティ地方の田舎に古い家を買い、自分で改装し、そこに二人の子供と一緒に移り住みました。

タマルさんは子育てをしながら村の人々にパソコンと英語を教えました。ある日インターネットで息子の病気のことを調べていたとき、このような患者にはクラシック音楽が良いらしいと知りました。それからというものタマルさんは息子に小さな音で少しずつクラシック音楽を聞かせました。さらに自分でも声を出し、歌い始めました。今では一日に何度も歌を聞かせています。現在、息子は38か月で、歌に反応し声を出します。目は完全に見えるようになりました。まだ歩けませんが、手足は動かせます。将来は歩くことも、話すこともできるようになるとタマルさんは夢見ています。

ジョージアでは、タマルさんは夢をあきらめない、強い女性のシンボルとなり、重い病気を持つ子供の母親たちの励みになりました。
タマル・クヴェラシヴィリ
タマルさんの子供たち10歳のニノちゃんと3歳のダヴィティちゃん


2017年3月3日金曜日

グルジア語の「母」

3月3日はジョージアでは「母の日」です。それで今日はジョージア語の「母」という言葉について書こうと思います。

ジョージア語では「母」は 「デダ」(დედა)と言います。しかし「デダ」は単純に「母」の意味を表わす以外にもいくつかの使い方があります。

ジョージア人は困ったとき、びっくりしたとき、うれしい時、痛みを感じたとき、怖い時などに「デダ!」と言います。まるでお母さんを呼んで、この感情を一緒に乗り越えたいかのようです。お母さんがそばにいなくても、生きていなくても、子供から老人まで無意識にこの魔法の言葉「デダ」を間投詞として使います。

もう一つの使い方として、お母さんが自分の子供を「デダ」と呼ぶこともあります。これはお母さんが子供を呼ぶときの最も愛情のこもった呼び方です。ジョージア人は年上の女性に「デダ」と言われたら、その人から自分の子供のように優しく扱われているように感じるものです。

いい時だけではなく、怒って悪口を言うときもジョージア人は「お前のデダ……」と言います。このような表現は特に男性が使います。ジョージア人はお母さんの悪口を言われると一番傷つくからです。

また、ジョージア語には「デダ」にほかの言葉をつけた熟語もあります。このとき「デダ」は「重要な」、「主な」というような内容を意味します。

デダミツァ(დედამიწა) 地球(ミツァ「土」)
デダカラキ(დედაქალაქი) 首都(カラキ「町」)
デダエナ(დედაენა) 母語(エナ「言葉」)
デダボヅィ(დედაბოძი) 主柱(ボヅィ「柱」

ジョージア人にとって「デダ」はとても親しく、重要で、何でもできる存在なのです。



私の4歳の息子が作ってくれたカードです。

2017年2月7日火曜日

クリスマスと行進「アリロ」

クリスマスは正教で復活祭に次いで2番目に重要な祭日です。キリストは1225日に誕生したと言われ、ジョージアの讃美歌でもそのように歌われています。しかしジョージア正教は旧暦(ユリウス暦)を使っており、旧暦の1225日は新暦の17日にあたるので、ジョージアではクリスマスを17日に祝います。

ジョージアではクリスマスは宗教的な祭日です。6日の夜に教会で特別な礼拝が行われます。この礼拝にたくさんの人が参加します。時には人が多すぎて、教会に入れず、庭で祈りを聞くことになることもあります。礼拝は朝の4時ごろまで続きます。その後、一旦休憩してから7日の朝に再び礼拝をおこないます。朝の礼拝だけに参加する人もいます。

朝の礼拝が終わった後、信者は「アリロ」(ალილო)という歌を歌いながら町の中を行進します。行進しながら、ところどころで止まっては寄付を集めます。集まったものはその後で困っている人々に配ります。ジョージアでは「アリロ」の行進は5世紀ころから行われているそうです。ソ連のときにはなくなりましたが、ソ連が崩壊した後、90年代に現在の総主教イリア2世の提案で復活しました。

今年首都トビリシで行われた「アリロ」の行進に私も参加しました。行進はバラ広場から始まり、ルスタヴェリ大通り、自由広場、バラタシヴィリ橋、アヴラバリ広場を通り、サメバ教会に向かいます。途中で旧国会議事堂や市役所の前で止まりました。国会議員や市長が寄付するものを渡し、行進に加わりました。
行進の先頭は伝統的に牛車です。
昔は寄付をこの牛車に乗せていました。
今年の行進にも牛車が出されました。

ジョージアでは子供たちは天使で、
クリスマスは彼らの祭りであると考えられています。
そのため行進にはたくさんの子供が参加します。

羊飼いの服を着た人たちも見えます。
彼らはキリストの誕生を祝いに行った羊飼いを表しています。


キリストが誕生したベツレヘムや、
そこに東から祝いに来た博士たちなどを表すようにラクダや象、
アラブの服を着た人もいます。

赤い十字架が描かれている服は「スティカリ」(სტიქარი)です。クリスマスには白いスティカリを着ますが、着ることができるのは司祭の許可を受けた人のみです。スティカリを着た人々は礼拝や行事のとき司祭を手伝います。
 
スティカリを着た人々の行列がサメバ教会のほうを向いて
バラタシヴィリ通りに立っています。
行進がサメバ教会の庭に入ってきました。
教会の関係者はクリスマスのイコンを持って行進します。
サメバ教会

讃美歌「アリロ」

2017年1月17日火曜日

お正月の食卓

ジョージアでは正月に伝統的なお祝いの料理をつくります。「サツィヴィ」、「ハチャプリ」、子豚の丸焼きなどです。正月の「サツィヴィ」は七面鳥の肉でつくります。ソースの材料はすり潰したクルミと香辛料です。「ハチャプリ」はジョージア風のチーズパイです。ホウレンソウ、ビーツ、キャベツ、豆などいろいろな野菜のクルミ和え「プハリ」もつくります。

正月の食卓には甘いものも欠かせません。伝統的なお菓子、ブドウの果汁とクルミかヘーゼルナッツでつくる「チュルチヘラ」や蜂蜜とクルミでつくる「ゴジナキ」をはじめ、ミカン、リンゴ、干柿やさまざまなキャンディー、チョコレートなどをテーブルに置きます。「ゴジナキ」はお正月にしかつくりません。

自家製のワインを出して自慢することもよくあります。

料理は1229日、30日、31日にたくさんつくり、だいたい15日ごろまで食べます。正月料理にはクルミを使った料理やお菓子が多く、胃腸に負担がかかります。そのため正月が過ぎたら素朴なスープが食べたくなります。
 
子豚の丸焼きはそのままテーブルに置くこともあります
サツィヴィは鶏肉でもできます
トビリシ、駅広場の市場 
キャンディーやチョコレートが正月にたくさん売られていました。
トビリシ、駅広場の市場、チュルチヘラの売り場
母がつくったゴジナキです。普通はひし形に切り皿に載せます。

2017年1月11日水曜日

正月の飾り「チチラキ」

ジョージアでは114日は旧暦の新年です。そこで、今日は再び正月の飾りについて書きたいと思います。

ジョージアにはクリスマスツリーのほかにチチラキという正月の飾りがあります。チチラキはもともとジョージア西部のグリア地方とサメグレロ地方の伝統的な正月飾りでしたが、今ではほかの地方でも飾られます。

チチラキはハシバミ(Corylus avellana)の木の枝で作ります。真っ直ぐな枝を下から上に向かって薄く削ります。伝統的にてっぺんに十字架や小さな円い木の皿をつけたり、キヅタの葉っぱやリンゴ、ザクロなどの赤い実で飾ります。最近はクリスマスツリーのようにリボン、赤い靴下、小さいぬいぐるみ、キラキラしたボールなどをつけることもあります。チチラキは大きいもので高さ1メートルくらいです。2012年にはグリア地方で4メートルの特大のチチラキがつくられました。

119日はキリストが洗礼を受けた日です。この日にチチラキを家から出して畑や、ブドウ園、ワイン蔵などに持っていき、今年もたくさんの収穫があるように祈ります。それからチチラキを燃やし、灰をブドウ園や畑に撒きます。

面白いことに、チチラキはアイヌ民族が儀式に使っていたイナウによく似ています。どんなつながりがあるのでしょうか。
 
トビリシ、駅広場の市場、チチラキ売り場
チチラキをつくるお爺さん
რეპორტიორი)
イナウ 
(ブログ:モミジガサの探し方

2017年1月10日火曜日

あけましておめでとうございます。

ジョージア語では「あけましておめでとうございます」は「ギロツァヴト アハル ツエルス」გილოცავთ ახალ წელს! です。これに続けて、よく「ダエスツァリト ムラヴァルス」დაესწარით მრავალს. と言います。「これからあなたがたくさんの年を迎えるように」という意味です。

30年ほど前はお正月に親しい友達や親戚にカードを書いたものでしたが、今はほとんど書かなくなりました。正月のカードを買おうとしても店には少ししかありません。その代わりに電話で済ませることが多くなりました。

11日の0時になると家族のメンバーはお互いに一口甘いものを食べさせ、「このように甘く年をとりなさい」ასე ტკბილად დამიბერდი(アセ トクビラド ダミベルディ)と言います。うちの母はいつも「ゴジナキ」をつくり、食べさせてくれます。「ゴジナキ」は蜂蜜とクルミでつくる正月の伝統的なお菓子です。

11日は皿に果物やお菓子を乗せ、近所の人々に持って行き、「あけましておめでとうございます」と祝います。家に明かりがついていれば、新年になったその夜0時を過ぎた直後に訪ねてもいいです。近所に貧しい家族がいたら、正月はさみしく感じさせないように料理と菓子をたくさん持っていきます。不幸があった家族には必ず声をかけ、今年は良い年になりますようにと祈ります。

新年に初めて家に来た人は「メクヴレ」(მეკვლე)といい、家族に運をもたらすと言われています。そのため「メクヴレ」として、前年に良いことがあった人や子供、若い人が行きます。不幸があった人は「メクヴレ」になることを遠慮します。偶然思わぬ人が「メクヴレ」になることもあります。


トビリシ、ルスタヴェリ大通り、元国会議事堂
正月の飾りとライトアップ