2016年4月9日土曜日

4月9日

この日はジョージア人にとって悲劇の日でもあり、うれしい日でもあります。

悲劇は1989年、首都トビリシで起きました。政府の建物の前で行われたソ連政府に反対する平和デモを49日の明け方にソ連軍が強制的に解散しました。その結果、21人の死者(女性が多く、何人かの未成年もいました)が出て、数百人が負傷しました。多くの人がガス中毒になりました。

続いてアゼルバイジャンのバクー、リトアニアのヴィリニュスでも同様の事件が起き、当時のソ連政府を動揺させました。

19913月にジョージアでは独立の是非を問う国民投票が行われ、95%以上が独立を支持しました。当時ジョージア共和国最高委員会委員長であったズヴィアド・ガムサフルディア(後のジョージア大統領)は投票の結果をもとに、その2年前の悲劇の日である199149日にジョージアの独立の復活を宣言しました。

デモに数千人が参加しました

大学の学生はハンガーストライキをしました

デモを解散した後もソ連軍の戦車はトビリシの中心に残っています

4月9日の犠牲者の追悼式

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